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CONFERENCE:MASHING UP vol.4

イマジネーションは国境を越える。日本が移民問題に向き合えるのはいつ?

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私たちが想像している以上に、じつに多くの外国籍の人々が、日本で暮らしている。

法務省が2019年12月に発表した日本在留外国人統計によると、在留外国人の数は約290万人にものぼり、総人口の約2%を占めるという。しかし、依然として日本は単一民族としての意識が強く、諸外国に比べて排他的な印象を受ける。移民・移住者から見た日本は、はたして暮らしやすい社会なのだろうか。

2020年11月に開催されたMASHING UPカンファレンスvol.4では、株式会社ロフトワーク 代表取締役の林千晶氏をモデレーターに、成田赤十字病院 国際診療科部長 浅香朋美氏参天製薬株式会社 CSR室グローバルインクルージョン戦略企画担当 モハメド・アブディン氏を迎え、移民・移住者目線での日本社会の現状や抱える問題点、そして今後“WELLな社会”を築いていくために必要なことを話し合った。

視覚障害を抱えて、鍼灸を学びに日本へ

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参天製薬株式会社 CSR室グローバルインクルージョン戦略企画担当 モハメド・アブディン氏

アフリカのスーダン出身で視覚障害者のアブディン氏は、日本社会においては二重の意味でマイノリティに属している。マイノリティに冷たい国と批判されることが多い日本だが、アブディン氏は19歳の頃に鍼灸の勉強のために訪日し、その後、東京外国語大学 特任助教、現在は、学習院大学 法学部政治学科特別客員教授、参天製薬 CSR室グローバルインクルージョン戦略企画担当など、輝かしいキャリアを重ねてきた。

多くの外国人にとって移住のハードルが高いと言われている日本をアブディン氏が選んだのは、なぜだったのだろうか?

「私には子どもの頃から視覚障害があったが、スーダンには点字や音声ソフトなどの教材がなかったので、耳で聴いて勉強をしていた。1996年にスーダンの首都にあるハルツーム大学の法学部に入学したが、大学で学ぶためには、これまで以上に多くの本を読まないと知識は身につかない。勉強について悩んでいたときに、日本では視覚障害者が鍼灸の勉強をできることを知った。視覚障害者にこんな危なっかしいことをやらせる日本って、面白い国だなあと。視覚障害者に鍼灸をやらせる社会というのは、もしかすると色々な意味で社会参加が進んでいるのではないかと、とりあえず挑戦しようと思った。若気の至りだったかもしれないが、結果としてはよかったと今は思っている」(アブディン氏)

ここでモデレーターの林氏が、たとえば日本・アメリカ・ドイツの選択肢があったら、どの国を選んでいたのかと率直な質問を投げかけた。

アブディン氏の答えは英語の通じる「アメリカ」だったが、当時はスーダンとアメリカとの関係が非常に悪化していたため断念したことを明かした。アメリカのテロ支援国家リストにスーダンが入っていたため、スーダンからアメリカへ留学することは難しかったと語る。移住先・留学先の決定は、必ずしも個人の意思のみによるものではなく、その時その時の国際政治情勢も大きな影響を及ぼしている。アメリカによる経済制裁には、スーダンの国民一人ひとりが苦しんでいたとアブディン氏。

見た目は日本人だけど……。異質さに冷たい日本社会

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成田赤十字病院 国際診療科部長 浅香朋美氏

成田赤十字病院に新設された国際診療科の部長として外国人患者受け入れに尽力している浅香氏は、生後7か月から高校を卒業するまでの18年間を、東アフリカのケニアで過ごした。“アフリカ育ちの日本人”である浅香氏から見た日本社会は、どのように映ったのだろうか。

「私は日本語を話せたし、見た目も純日本人。しかし18年間、外国で育っているので、日本から見ると外国人のようなもの。日本で生活してみて初めてわかる、“知らないこと”へのストレスがたくさんあった。むしろ、見た目が日本人じゃなかったらよかったのに……と。バス料金の払い方、公衆電話の使い方など基本的なことを質問するときに、見た目が普通の日本人のために、相手からは“なぜこんなことを聞いてくるんだろう”という顔をされて、とても辛かった覚えがある。“こういうことを聞いたら、またおかしいと思われちゃう”、と思うと、だんだん聞けなくなってくる」(浅香氏)

外国育ちの日本人ならではの苦悩を明かした浅香氏に、同じく海外で幼少期を過ごした林氏が共感を示した。林氏は、両親の仕事の都合でアラブ首長国連邦の首都アブダビから、小学5年生の時に日本に帰国した。

「私が日本に帰国する直前、学校の先生は“今度の転校生は、すごく不思議な国からやって来る子”と説明したそうで……。見た目は日本人だけど、信号機もわからない子が来るから、みんな気を付けてあげてね、と。やっぱり、いじめられましたよね。この人は日本人じゃない、という感じで」(林氏)

林氏の経験談を聞いて、浅香氏も「私も大学生の頃に、いじめみたいな経験はあった。私がちょっと変わったこと言うと、“ああ、この人ケニア人だから”と言われて。向こうは冗談のつもりだったのかもしれないけれど、まだ18歳の自分にはすごく突き刺さった」と振り返った。

目の触れるところに外国人労働者が少ない

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株式会社ロフトワーク 代表取締役 林千晶氏

冒頭で説明した通り、日本全体の人口を占める移民の割合は約2%。しかし東京都のみでは、20人に1人が外国人。想像以上に多いと感じるかもしれない。多くの日本人の肌感覚と実際のデータにギャップがあるのは、なぜなのだろうか?

これについて、アブディン氏は「日本は外からの労働力に頼る必要があり、外国人労働者が増えていることも認識している。しかし、皆さんの目に触れるところに外国人労働者がいないというケースがあまりにも多いので、肌感覚でこんなに多くの外国人がいると理解できないのだと思う。たとえば、造船所や漁業、農業、工場労働などに従事している人が多く、局地的に外国人が集まっているため、なかなか外国人が増えているという実感が持てないのはしょうがない」と見解を述べた。

移民として日本社会に溶け込んでいるというよりは、閉鎖的な環境で外国人労働者同士の交流しかない現状。アブディン氏によると、日本語を習得する必要性がないこともその一因だそうだ。

「雇い主から見れば、日本語の語彙が100個に満たなくても、仕事はできる。むしろ日本語が上手になると色々な情報が入ってきて、もっと待遇の良いところに行きたくなる可能性がある。雇用主から見れば、あまり好ましくないかもしれない。自分たちに色々な権利があることを知らない方が、都合がいいとされているのではないか。もちろん、そんな雇用主ばかりではないと思いますが」(アブディン氏)

さらにアブディン氏は、多くの外国人労働者にとって、日本語を習得することにあまりメリットを感じられないことも指摘。最初から3~5年間しか日本で働けないとなると、日本語学習に投資するよりも、しっかり稼いで母国にお金を持って帰ろうという結論に達するのは自然な流れだ。日本ならいい待遇で働けるとブローカーに騙されて、借金をして日本に働きに来る人も少なくないという。その場合は借金を返すのに精一杯で、日本語を覚えるプライオリティが低い、とアブディン氏は説明した。

アブディン氏の説明に、浅香氏も深く頷きながら賛同した。

「私はここ数年、外国人の方と病院以外でも会う機会が増えたが、コミュニティができ上がっているという印象がある。たとえば、特定の国のモスクの周りにその国の人が住みやすくなるなど、同じ言語を話せるという安心感があるので、どうしても同じ地域に集まる傾向があるらしい。そうすると情報も入りやすくなるので、日本人と触れ合わず、日本語を話さなくても、日常生活を送ることができる。結果、より壁は大きくなってしまう。

そのようなコミュニティの関係は、とても強固。たとえば公的保険に加入していないために治療費が何百万と高額になってしまっても、コミュニティ内の教会やモスクで集金をしてもらえる。初対面の人であっても、“困っていると聞いたので”と、寄付や通訳などのサポートをしてくれる。コミュニティが強固なのは素晴らしいことだと思うが、日本の言語や文化に触れ合うことの障壁となっているのかもしれない」(浅香氏)

移住者の社会参加の障壁になっているものは?

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“二重の意味でマイノリティ”でありながら、輝かしい成功を収めているアブディン氏に、どうやって日本社会という環境に適応することができたのか聞いた。

「二重にハンデを抱えていると言われることもあるが、私は逆だと思っている。むしろ視覚障害があるからこそ、日本語を高いレベルで喋らなければいけない必要性があったのではないかと。

目が見える人なら、スーパーで買いたいものを自分の目で確認できるので、ひと言も話さずに手に取ることができる。目が見えないと、何を買いたいのかを人に伝えなければならない。私にとって、日本語を学ぶことは贅沢でもなんでもなくて、生き延びるための手段。

(目が見えないからこそ)人にものを頼む場面が多い。どこに行きたいのか全部言わなければならず、ていねいな言葉遣いも学ばなければならない。そういう環境に置かれたからこそ、よかったのではないかと思っている」(アブディン氏)

そして、周りが全て日本人の“オール・ジャパニーズ”の環境も、日本語の習得に寄与したとアブディン氏。日本にやって来る留学生は通常、まず留学生同士で集まって1年間日本語を学ぶ。しかしアブディン氏の場合は、語学学校に1年間を充てる予算がなかったため、最初から日本人の学生に囲まれて鍼灸を学ぶことになったという。

アブディン氏によると、留学生同士で集まっていると、留学生の中で相対的に日本語ができていると思い込んでしまう。アブディン氏は、常に周りの日本人と自分の日本語能力を比べていたため、日本語上達スピードが飛躍的に向上したそうだ。

個人として、企業として今日からできること

多様性に富み、すべての人にとって暮らしやすい日本社会になるためには、具体的にどのような行動を起こすべきだろうか? 個人として、企業として今すぐできる取り組みとは。

アブディン氏は、行動を起こすよりも前に、まず日本人同士で本音の議論をする必要があると持論を述べた。多様性のある日本社会とはどのような特徴を持つのか、イマジネーションを使って具体的に描き出すことが大事だという。

「日本はこの先どのような国、どのような社会を目指したいのかを、個人レベルで一人ひとりが考えなければならないと思う。政治家だけに丸投げするのではなく、腹を割った議論が必要だし、本当に目指したいなら、かなりの投資が必要。外国人を連れてきて(一時的な)労働力としてポイ捨てという制度では、すぐに限界が来る。最近よく言われているように、犯罪が多くなるという問題も出てくるだろう。

色々な皮膚の色をした人が、日本社会の中で日本の文化を受容しながらも、自分たちが持ち込んだ文化の良い部分と融合して、もっともっと面白い日本を目指していこう、という社会にするのか。それとも、やっぱり日本は日本なので、日本の文化に慣れていただかないと困る、として移民政策に反対するのか。この両方の立場で、徹底的に話し合うべきだ」(アブディン氏)

アブディン氏に続いて、浅香氏も想像力(イマジネーション)という単語を使いながら想いを語った。

個人でできることは、想像力を広げることと、寛容性を持つことだといつも思っている。自分の目の前にいる外国の方の話す言語であったり、その国の文化背景だったり。どのような生活や環境で育って、どんな考え方を持った人なのかを想像するのは、すごく楽しいことだし、相手を理解することの第一歩になる。

そういう気持ちを持つことと、自分自身や日本の文化と全然違うことであっても、“これもアリなんだな”と受け入れられる余裕とスペースを作っていくこと。それは小さなことのようで、すごく大きなことに繋がる」(浅香氏)

さらに組織としてできる取り組みについて、医師である浅香氏は、あらゆる立場にある人が平等に医療を受けられる医療体制の整備を挙げた。病気やケガはすべての人間に同じ条件で起きるものなので、移民が日本人と同じレベルで安心して健康に暮らせることが浅香氏の願いだ。

セッションのラストでは、林氏が「知らないものと知らないものが出会わないと、イノベーションは生まれない」と強調して締めくくった。負担や苦しみをともなう義務としてではなく、楽しいこととして前向きに、インクルージョンに取り組む姿勢が日本人一人ひとり問われている。多くの新しい気付きが得られたセッションだった。

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MASHING UPカンファレンス Vol.4

これからの隣人。コミュニケーション、移民、移住
モハメド・アブディン(参天製薬株式会社 CSR室グローバルインクルージョン戦略企画担当)、浅香 朋美(成田赤十字病院 国際診療科部長)、林 千晶(株式会社ロフトワーク 代表取締役)

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吉野潤子
ライター・英語翻訳者。社内資料やニュースなどの翻訳者を経て、最近はWebライターとしても活動中。歴史、読書が好きです。

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